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東 日 本 大 震 災 の 支 援 活 動 に 参 加 さ せ て い た だ き ま し た 。

 ■ご挨拶■

 このたびの東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 私も微々たる力ながらに、平成23年3月23日〜3月28日まで、宮城県気仙沼市にある階上中学校にて医療活動のお手伝いをさせていただきました。
 そこで感じたのは、まず何よりも伝えたいのが、被災者の方々が元気だったこと!
 もちろん内面では辛いこともあると思います。また、多くの取材陣でさえも快く受け入れており、現状をしっかり伝えようとしているところに驚きました。
 私も色々悩みましたが、私が宮城に行くことに対して心配(中には反対)をしてくれる人が、意外と多くて、今回は、人の温か味を感じる数日となりました。
 今回、私が見たもの、感じたもの、日本の強さ、人の強さ、人の優しさ、全世界から支えられていることについて、まとめていこうと思います。

 そして、再び、4月21日〜22日に仙台にある総合病院へ行ってきました。
久々に合流した支援活動をしている方々に話を聞くと、私の訪れていた階上中学校は、すでに開校しており、ユニセフによって教科書も用意していただけたとのことでした。
また、医療支援の部隊もだいぶ撤収しているそうです。私の勤務先の救急車も被災地に行っているのですが、5月上旬には戻ってくるでしょう。
やはり、日本は元気です!まだまだ完全復興を願ってがんばれ日本!

平成23年3月23日〜3月28日

東京から、まずシャトルバスに乗って仙台へ。

移動時間は、確か7時間くらいだったのですが、疲れがありながらも

緊張していてあっという間に仙台に到着。



仙台にある、総合病院に到着。

ここに様々な医療従事者の方々と合流になりました。



ここの病院のリハビリ室を使って、色々と支援対策が練られています。

人員配置であったり、大きな地図には、道路状況などが書き込まれています。

また携帯電話の使用状況も確認できました。



今回、僕は、主に救急車の運転とロジ業務。

道路も混んでいれば、ガソリンスタンドも混んでいました。

しかし、緊急車両のみに開放しているガソリンスタンドもあり、

僕は比較的に困ることはありませんでした。とはいえ、隣街まで給油に行きます。



そして給油も、電気が来てないので人力で淹れます。

僕も漕がせてもらいましたが、これも良い経験になります。



そして、今回僕が、滞在させていただいたのは、気仙沼市にある、

階上中学校という避難所でした。

校舎の写真がないのですが、こちらは、体育館の入口です。

色々と掲示板を使っての情報収集や情報提供がされています。

また、ここには1200人の避難者の方々が、おりましたが、

電気の復旧とともに800名ほどになりました。

そして、ここの子供達は、本当に元気!

何度か体育館を尋ねては、子供達に声を掛けたのですが、

ビックリするくらい元気で、逆に僕が勇気付けられました。



校庭には、たくさんの車。これでも減ったほうだそうです。

そして多くの車にはガソリンがないそうです。

また夜間は、僕も見回りに行かせてもらったのですが、

車で過ごされる方もいました。

車という狭い空間で足を曲げたまま長時間寝ていると、

エコノミー症候群や血栓が出来やすくなるので、

足を伸ばしたり動かすなどアドバイスを伝えました。

またこのときは、雪も降っていたので防寒対策もお願いしました。



体育館の前には、地元の方々が、船の廃材を使っての足湯がありました。

これがあるだけでも、避難者の方々の疲労は大きく違うと思います。



自衛隊の方々もおりました。

配給、配水車など、やはり自衛隊の存在は大きいです!



そして、僕達は、教室の一部屋を使っての診療を行います。

簡易的な受付を作り、問診とカルテ作り。

そして、3ブースの診療室。

ここでの診察では難しいと判断すれば、すぐに気仙沼市立病院へと行きます。



またこのように、ダンボールに医療材料や薬剤を入れて巡回診療にも出向きました。



薬も様々で薬剤師の方が、成分表など作り綺麗にまとめてました。



ここでの宿泊は、一部屋に集まって寝袋です。

雪が降る気仙沼市は、本当に寒かったです。

それでも、寝袋に包まれば、ぐっすりと眠れるものでした!



食べるものも、困ることなくカップラーメンがありました。

水道は、まだまだ復旧してませんでしたが、電気は僕のいた二日目には復旧し、

ペットボトルの水は、海外のものが硬水でしたがあったので、温めて食べることが出来ました。



また、避難所の方々の炊き出しを分けていただくこともしばしば。



それから、本吉病院にも行きました。

こちらの病院は、1階は津波による災害で使用できず、2階で診療を行ってました。

ここで、同じ病院に勤務する友人と会いました。



僕の来る前には、僕の上司が来ていたのですが、みんなで泥などを片付けたそうです。



本来であれば、バイオハザードマークの付いた密閉する箱に入れて捨てるべきものも、

外の一角に積まれていました。

はやく復興を願うばかりです。



気仙沼市の医師会の会議にも行かせていただきました。

ここには、全国各地の医療従事者の方々が集まっており、情報交換がなされていました。



そこでこんな救急車も見つけました!



北海道の岩見沢市の救急車です!

僕は、以前隣の市の美唄市に住んでいたこともあり、懐かしく思えました。

本当に全国各地からの救急車、消防車、パトカーが集まってました。



気仙沼市のコンビニです。



なんだか現地に行っても、現実のこととは思えませんでした。



道路もままならない場所も多かったです。

それでも、自衛隊の方々が、一生懸命作ってくれたそうです。



本吉から南三陸の方へ向う途中は、緊急車両でも通れない状態でした。



神社の屋根まで津波が到達しているようで、車が押し付けられていました。



陸前高田へ向う途中の道。

前方の家を良く見ると・・



家の上に他の家が乗っていました。



持ち主の言葉も見るのが辛いです。



正直、街は壊滅状態でした。



ここの小学校も丸々津波にのまれたそうです。



ここは、陸前高田の市街地だそうです。

ここも壊滅状態です。



奥に見える建物が、岩手県立高田病院です。



病院勤務する者として、このような状況を見るのは、とても辛いです。



まだまだ陸前高田は、水が引いてませんでした。



と、いうことで、短い期間でしたが、

被災地の支援活動を微力ながら行って来ました。

そこでは、グループ病院の人たちはもちろん、

個人的に応援に来た医療の方々、

また世界から、アメリカから来た医師と看護師、現地の方々・・。

多くの方に僕まで親切にしてもらえました。

神奈川に帰ってきた今でも、メールでのやりとりなど行ってます。

またテレビの報道(めざましテレビ)で階上中学校が映っていて、

知っている方々が元気に映っていて、

なんだか嬉しくて涙がとまりませんでした。

本当に強い絆と、人の温かさを改めて痛感しました。

まだまだ復興には時間も人もお金も掛かると思います。

僕が被災地にいたのは“期間”があったので、

先の見えない、被災地の方々と比べれば、辛くはありませんでした。

本当にライフラインの大切さを感じました。

被災地の方々の為にも一早い復旧を願います。

今回の経験を通して、今後自分は一体何が出来て、必要なことは何なのか、

未だ分からないのですが、出来ることはしたいと思いました。

その為には、今回のことも良い経験と捕らえて日々の仕事もプライベートも

一つ一つがんばっていこうと思いました。



平成23年4月21日〜4月22日

今回は、前回僕が参加したように、医療支援に行く方々を送る為の

シャトル便の運転をしてきました。

夜23時に出発をして朝6時に到着するように行きます。

運転は二人で交互です。



4月下旬ということもあり、医療支援の本部が、

総合病院から、商工会議所に変わってました。



東京から仙台に行くのに福島県を通るので、

一応被爆量の計測器を付けていくのですが、

数値を見て分かるように東北道を走る分には、

放射能に触れることはなかったようです。



商工会議所には、寝床があったので、ゆっくりと休みます。

ちなみに朝6時に着いてミーティングを行い、

14時には、東京に帰る人達を乗せて帰るので、遠慮なくゆっくり休むことにしました。



12時頃に目が覚めたので、外を見ると、ヨークマートを発見!

飲み物や帰りの運転用にミント系の飴を買いに行きました。



13時頃には、お腹も空いてきたので昼食を。

右の方に見える、銀色の家は、先ほどヨークマートに行った帰りに覗いたら、

ラーメン屋さんだったので行ってみることにしました。



メニューでは、たくさんの種類がありましたが、今は1種類のみということで、

その“ぶた味噌ラーメン”をお願いすることにしました。

とても美味しくて、塩むすびも付けてくれました。

さらには、女将さん?店員さんは、僕の食べる状況を見るや、

おむすびのおかわりも伺ってくれる気遣いまでしてくれました。

その気持ちだけで、胸がいっぱいでした。

このラーメンは、避難所等でも炊き出しで振舞ったそうです。

色々な形で多くの方が、助け合っていて心温まるものでした。



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